水野南北



江戸時代の観相家である水野北南は、節食と断酒により、開運に成功した人物だ。

   


開運の経緯は、

(1)投獄により、人相に興味

 北南は幼少の頃に、両親と死別して、親の愛を知らず孤児の成り行きで不良になった。

 10歳で酒を覚え、酒代を得るために悪事に手をそめ、投獄されることが度々あった。

 18歳、投獄され入牢したときに、罪人と娑婆にいる人の人相に違いに気がついた。

 この著しい相豹の違いから、人相学に興味を持つようになる。

(2)剣難の相で、1年以内に死ぬ

 やがて、出牢したある日にこと、人相観に己の顔や手相を観てもらうと、「一年以内に、

剣灘の相で死ぬ相が現れている」と言われました。

 驚いた南北は、その足で禅宗の寺へ行き、坊さんになりたりと願いでる。

(3)節食による修行

 しかし、寺の坊さんは、「1年間麦と白豆の食事を続けたらならば、弟子にしてやる」と

 それから、南北は酒を絶ち、麦と白豆の食事を続けながら浜沖仕の仕事を続けた。

 荒くれの浜沖仕の中で、派手な喧嘩で怪我することはあっても命に別状はなかった。

(4)消えた剣難の相

 1年後に、以前の人相観を訪ねると、「ウンンン」と観相家は唸ってしまった。

 「剣灘の相はなくなっている、お前は何か大きな功徳をしたであろう

 例えば、人の命を助けたとか、困っている人を助けたとか

      神社仏閣の修繕の助力をしなかったか」と尋ねました。

 南北は、「お坊さんの教えの通り麦と白豆だけにしている」答えた。

 観相家は、「食事を節することで、天禄が書き換えられ剣灘の相が消えたのだ」と

(5)人相術の本格的な研究

 床屋の弟子になり、3年間人相と手相の研究。

 風呂屋の手伝いをして、全身の相について研究を深める。

 さらに、火葬場の作業員になって、骨相や腸の残留物まで調べた。

(6)神からの啓示

 50歳、伊勢神宮で21日間の断食と禊(水行)を行い「人の運は食にあり」と啓示を受ける。

 「我れ衆人のために、食を節す」と決意のもとに、運が開け財をなし78歳まで生きた。

で、珍太郎は、

 断酒は3年半、玄米菜食は半年間継続中である。
  
 周囲からは、人相が変わったと言われる。(減量の影響もあるが)

 食物が与える人相、運命について、自らで実験・検証・報告することとしたい。