幸せ


  
  幸せは、すべて私が持っています。

  

 どういうこと
  
  幸せと言う絶対的な現象や価値はないのではないか?

  例えば、

   ○ 宝石を見たときに、100人が100人とも、これは布石ですと指をさす。

   ○ 鉛筆を見たときに、100人が100人とも、これは鉛筆ですと指をさす。

  ところが、100人が100人とも指をさして「幸せ」と言える現象はあるのか?

  例えば、 

   ここに、1個の甘いおまんじゅうある。

  甘いものが大好物な子供は、幸せを感じるであろう。

  糖尿病で甘いものを、制限されている人には、辛いものになってしまう。

  まんじゅうを食べたばかりの人にも、まんじゅうはうんざりである。

  甘いものが大嫌いな人は、まんじゅうを見るのも嫌である。

  Aさんがこれを「幸せ」と言っても、Bさんは、あるいはCさんは、「幸せでない」と言う

 かもしれない。

 幸せは個人に帰属する
  
  幸せと言う絶対的な現象や価値がないのであれば、個人が「幸せ」と思ったときに、

 それがその人にとっての幸せだ。
  
  例えば、沢山汗をかいた人が、コップ1杯の水を飲んで、「あ〜幸せ」と思った瞬間に、

 幸せになれる。

  ビールを飲んで既に、喉が潤っている人には、コップ1杯の水は幸せでないかもしれない。

 で、珍太郎は何が言いたいの
  
  「感謝日記」で述べたように、幸せは得るものではなく、今、気づくものだ。

  幸せは、個人に帰属するので、「八方美人」で述べたように、周りの考えや常識に支配

 されないようにすることだ。

  関連記事:感謝日記

  参考記事:八方美人